自分を変える

昨日、ラジオを聴いていて、次のような言葉を耳にした。確かに、と思ったので控えておく。


人は、変えようとしても、そうそう変わるものではない。

その人自身が、変わりたいと思わなければ変わらない。


第一の文は、特に、人を導こうとする者に対して参考になるだろう。
頭ではわかっていても、いつの間にか傲慢になっていると、そのことを忘れている。
挙句の果ては、さげすみ、ののしり、さらには手を上げたりもする。

第二の文は、変わるべき当人にとっても参考になるだろう。
言ってみれば、「私」というものが、切に変わりたいと思わなければ「私」は変わらないということだ。切にとは、ひたすらにということだ。
それはしかし、日々暢気にそれを思っていればよいというものでもない。
「私」というものが変わるべく行為しなければ「私」は変わらない。
したがって、この「思う」は、生きている人間として、行為を伴ったものと考えなければならない。