啓発という教育

教育の仕方にもいろいろある。そして、教育の仕方によって、育てられる人間は変わる。

現在では、9割ほどが12年の教育を受け、さらにその5割は延べ14年以上、なかには18年以上の教育を受ける者も増えている。
しかし、いくら長年月の教育を受けたからといって、しっかりとした人間が育つとは限らない。

啓発教育という言葉がある。

啓発とは、辞書によると「気づかない点を教え示して、より高い認識や理解を導くこと」とある。

しかし、そのもとは論語の「憤(フン)せずんば敬せず、悱(ヒ)せずんば発せず」(述而編)のなかにあると言われる。

これは孔子の言葉で、その意味は、次のようである。

自分の力で進んで、いま一歩というところまで来てもたもたしている、そういう相手でなければヒントを与えてやらない。言いたいことは頭にあるのだが、なんとしてもうまく言えないでもどかしがっている、そういう相手でなければ助け舟は出してやらない。

これは、立派な教育方法である。
それは、物事を得心へとつなげる教育である。

しかし、こういう教育の仕方というのは、最近では減ってきているようだ。

ともすると、意地の悪い教育の仕方だ、などという大人・親がおり、教育者までもいるにちがいない。

近頃では、教えを受ける側の児童、生徒、学生と呼ばれる者たちから、堂々と非難の声が上がるかもしれない。

人間が軽くなり、軽くなった人間が主張し、それがまかり通る世の中となると、さて、その後はどうなることか。

救いは、たとえそういう人間が増えても、人間みなが皆、そうなることはありえないということだ。
人間は皆同じだなどと、単純に考えてはいけない。

立派な教育者たらんとする人たちには、教えを受けようとする者をよく見極めて、時に本当の教育実践をしていただきたいものである。