救いについて、あれこれ

自力救済とか他力救済という言葉がある。

自力救済には、理性への信頼や性善説とか自己信頼とかという言葉がふさわしい。

他力救済は、他者による救い、究極は神や仏による救いだが、そうした絶対者による助けがなければ救われないということなのだ。

しかし、いずれかでなければならないと考える必要はない。
いずれであってもよいし、いずれでもあってよい。

その区別すらないという言い方もある。

要は、救われればよいのである。

肝心なのは、救われたいと思う者が、救われるということなのだ。

人は自力救済によって救われる。あるいは他力救済によって救われる。あるいは自力とも他力とも言えず救われる。

・・・しかし、実際には、本当のところ、なんとも言えない。


そういえば、そもそも救われねばならない存在などと考えることすら、なくなってきているのかもしれない。
そのくらい、いいかげんに、生を考えるようになってきているのかもしれない。