私と誠
私というものは、大宇宙のなかに生きていますよね。
そして、その宇宙の摂理のなかに生きているのですね。
でも、私そのものも一つの宇宙であって、それは小宇宙と言ってもいいと思うのですね。
私のなかに宇宙の摂理があって、そのなかで、また、私が生きていると思えるのです。
私というものは私によって生きねばなりませんが、生かされているというのは、そういうところに言えるのですね。
そして、この宇宙の摂理が私によって現される。
そこに誠というものがあると思うのです。
現されるというのは、知ではなくて、私が私を生きているところにあるということなんです。
江戸時代中期の人ですが、石田梅岩に次のような言葉があります。
万民はことごとく天の子なり。故に人は一個の小天地なり。(斉家論)
私もそう思います。
また中庸には次のような言葉があります。
誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。
これは、造化を生きる、とも言えますね。
そして、その宇宙の摂理のなかに生きているのですね。
でも、私そのものも一つの宇宙であって、それは小宇宙と言ってもいいと思うのですね。
私のなかに宇宙の摂理があって、そのなかで、また、私が生きていると思えるのです。
私というものは私によって生きねばなりませんが、生かされているというのは、そういうところに言えるのですね。
そして、この宇宙の摂理が私によって現される。
そこに誠というものがあると思うのです。
現されるというのは、知ではなくて、私が私を生きているところにあるということなんです。
江戸時代中期の人ですが、石田梅岩に次のような言葉があります。
万民はことごとく天の子なり。故に人は一個の小天地なり。(斉家論)
私もそう思います。
また中庸には次のような言葉があります。
誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。
これは、造化を生きる、とも言えますね。