死を生きる

いのちを自覚して生きるというのは、自身に対して誠実な生き方になるに違いない。自分を大事に生きる生き方に違いない。さらに言えば、内にも外にも誠実に生きる生き方に違いない。

そして、それはなによりも真剣な生き方に違いない。

真剣とは、本当の太刀(たち)だ。
真剣に生きるというのは、竹刀や木刀を持ち歩いている姿ではない。

松尾芭蕉は高弟に辞世の句を求められたとき、次のように答えたという。

きのうの発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、われ生涯いいすてし句々、一句として辞世ならざるはなし。もしわが辞世は如何にと問う人あらば、この年頃いいすて置きし句、いずれなりとも辞世なりと申したまわれかし・・・

真剣な生は、いつも死を自覚しながらの生に違いない。
そして、その生は、死を自覚しつつ、いつも前向きなものだ。