どう生きようがかまわない

人がどう生きようがかまわない、などと聞くと、
どうもおもしろくない、納得がいかないなどという気持ちが出てくる人もいるかもしれない。

宗教家であったり、教師であったり、政治家であったり、司法官や保護司であったり、その他、人を導く立場の者がこういった発言をすると、非難されるのは仕方がない。
それは、それぞれの発言が、その者の社会的立場というところに照らしあわせて、見られるからだ。

一方、人の社会的立場という考えを除いて、
誰も彼もが、
あるいは誰かが、
君がどう生きようがかまわないなどとは思っていない、君はこう生きるべきだ、
などと言ってくるとすれば、
ひとかどの大人であれば、
これはうるさくてかなわない、ということになろう。

人がどう生きようがかまわない、と聞くと、
いかにも冷たい人間のようだが、
自分をどう生きるかはそれぞれの己(おのれ)自身なのだ、と聞くと、
多くの者は納得せざる得ないに違いない。