社会から蹴落とされる

社会から蹴落とされるのは

怖いかもしれないけれど、

タオから見れば、

社会だって変わってゆく。だから

大きなタオの働きを少しでも感じれば

くよくよしなくなるんだ。

たかの知れた自分だけれど

社会だって、

たかの知れた社会なんだ。
加島祥造「たかの知れた社会なんだ」『タオ―老子』より。)


とは言え、

社会から余りに蹴落とされるのもたいへんだから、すすんで蹴落とされない方がいいきまっている。
まあ、蹴落とされたと思うときには、このくらいに考えるといいだろう。

たかの社会なんだといいながらも、その社会と切れては、生きられない。

たかの知れた自分などと考えず、しっかりと「自分」というものを、社会に飲み込まれず、できるならば、社会を飲み込むぐらいになって生きていくのがよい。
自分というものが、しっかりとしたものになれば、それは可能だろう。

そうすると、たかの社会なんだが、本当のものになる。