自分の内に有るものが在る

人には、外に求める必要のないものがある。

あるいは、人は外に求める必要のないものをもっている。

それは、

人には生まれながらにもっているものがある、ということだ。

「本心に立てば自然にそうした気持ちになる」というのも、その証左だ。

しかし、現代では、その本心があまりにもかすんで、本心があるのかさえわからなくなっている人たちが多い。どれが本心なのかも、わからないことになったりしている。

それは、年数多く教育を受けてきた人たちにも見うけられるし、教育の場から早くに逃げたり逃れた人たちのなかにも、同じように見られることだ。

自らの外で熱心に土を盛り水をやり続けても、自らのうちに有るものに気づき、それに土を盛り水をやらなければ、成るものには成らないのだ。

自らの外に土を盛り水をやることを、教育と称して行っている人たちがいかに多いことか。

そして、歪められて生きるようになった人々がいかに多いことか。

すでに、人々の心の根っこが蝕まれつつあるようだ。