本音と建前が無いなんて

日本人には本音と建前があって、それがいけないことのように言われたことがある。

どのような人と比べていたのだろう。

たぶん外国人と比べて、ということだったね。

外国人? でも、イメージ的には、たぶん白人。

白人? でも、たぶん欧米人。


そういう人と比べて、日本人には本音と建前があって、それがよくないって感じで言われてた。

(ここには、欧米人、特に白人に対してのちょっとした劣等感も加わっていたのかもしれない。まあ、外交関係では、もっとはっきり主張せよ、と言いたかった人もいるみたいだけど・・・。まあ、それをともかく・・・)


本音と建前っていうのは、

どの世界の人だって、もっていることなんだ。

どの国の人だって、もっているんだ。


大人は、みんな、本音と建前をもっている。

大人は、っていうのも、わかりやすいようで、わかりにくい表現だけど、

人は、いろいろな他人(ひと)、親や兄弟も含めてなんだけど、そうした他人(要するに自分以外の人)とかかわって生きていくうちに、育っていくうちに、本音と建前を身につけていくんだ。

そういう意味では、ちょとずつ、成長するにつれてって言うほうがいいかもしれないんだけどね。

自分を大事にして、相手や相手たちをそれなりに大事にして、人間関係をうまくやっていくために、身につけていくことなんだろうね。

だから、本音と建前をもつってことは、当たり前のことだし、必要なことでもあるし、それなりに、それなりの人間関係でもって、自分らしく生きていくためのことでもあるんだ。

だから、日本人が、なんて、そんな卑下する考え方をしてはいけないし、

自分が本音と建前をもっているからよくないなんて考えるのも、まったくよくないことなんだ。

最後に言っておくけど、

本音と建前の境界線なんてものも、無いんだからね。

ああ、それから、もう一つ。

自分のなかでは、本音を大事にしていないといけないと思うよ。自分らしい本音も、育てていかないといけないものなんだからね。