無責任社会もここまで来たか

総理大臣、辞めちゃいましたね。

無責任社会もここまで来たか、って感じがしましたね。

ケツまくって逃げ出したって感じかなあ。

無責任社会のダメ押しみたいなものだね。

ダメだと思ったら、ケツまくって逃げなさいってか?

俺なんて、働く意欲も失いかけちゃったよ!

お前は、その前に失ってると思ってた!

おい、おい。

でも、きれいなことは言ってましたよ。

その点は、最後まで、相変わらずだったね。

そう、ああいう人は、どこまでも、きれいなことは言わないといけない性格になってるわけね。でも、責任ある行動というのは別なんですよね。だから、きれいな言葉に耳をかす人は、大事なことが見えなくなる。

いっぱいお勉強をした人の中には、このきれいな言葉をたくさん知っている人がいますね。

そうそう、たくさんのきれいな言葉と、それをうまくつなげる理屈ね。賢い人の中には、こういう知恵を身に着けている人がいるから、別の賢い人は、それを見抜く力を持たないといけないわけね。

しかし、同情論もありますけど・・・。

馬鹿おっしゃい!同情論を唱える人も、結局は、ぼけてる人なのよ。

私は、子供たちに、責任ある行動をしないといけないって、日ごろから教えているんだけど、やっぱりあれはまずいわよね。そこでなんて言うかというと、私たちにはわからない、難しいことがあったんでしょう、なんて説明するのね。そうすると、たいていの子どもたちは納得してくれるから、助かるの。

まあ、言ってみれば、それも同情論だろうね。情の話へ持っていくと、それなりに納まるのが我々の社会だからね。子どもたちをごまかすのも、情の話で言うと簡単なのさ。

でも、情の話では、結局何も変わらないし、変えようもない。問題の本質へは行かないわけだからね。

無責任さを逃れるのに、人の情に訴える手もあるよね。

その点では、この宰相は知にこだわりすぎる人だったのかもしれないね。だから、最後に、これが総理大臣だったのか、なんて、開いた口がふさがらないというか、あきれるというか、なぜか、こちらが情けないというか、情にすら至らなかったもんだから、そんな感じさえしちゃったんだな。

まあ、知だけじゃあ、これもどうしようもないわけね!知を持って、理想論を言う人間は、受けがいいけどね。

この人、あとで元総理なんて言って欲しくないね。そういうのを剥奪する決まりごとでも作ってくれないかしら。

それなら、何人も、該当者がいるぞ!

まあ、いずれにしても、はやくまともな人が出てくれないと、ますます将来が不安というか、恐ろしい!

まったくだ。

俺は、もうどうなってもいいもんね。安心、安全を考えるのは、おれ自身のことと俺の周りの愛すべきものたちのことだけでいい!

そうは言っても、社会がこれではひどすぎる。

うん、まったくだ。はやく、もう少しまっとうな者が出てくれないとな。

(まあ、こんな話ばかりで、友人たちとの昨日の茶飲み会は終わったのでした。)