不確かな私

私というものは、いつもどこか不安定だ。

しかしそれは、私がときに大きく不安定であったり、ときにしっかりとした私であったりと、その間を、ゆれるということだ。

それは、誰しもに言える当たり前の状態だ。

私とは、そういうものだ。

怖いのは、その私が不快な大きな力に突き動かされるときがあるとすれば、ということだ。

これも、しかし、誰しもに起こり得ることだ。
そして、それは怖いことなんだ。