友だちのつくり方を忘れる

中年の友人が打ち沈んでいる。

私「どうしたんだい?」

友人「大事な人を失った気がするよ!」

私「いったいどうして!」

友人「私のところによく話をしに来る若い人がいてね。彼はたくさんの話を私にしたんだ。何回も彼は私を訪ねてきたよ。なかなかいい青年でね。どうして、そうたびたび私に会いに来るのか、最初は不信がっていたんだけどね。感じのいい青年だから、そのうち不信感もなく、よく話しをするようになったんだ。何回会ったか覚えていないくらいだなあ。・・・彼は私にたくさんのことを話してくれたよ。最初はありきたりの仕事の話だったけど、だんだんと自分の生い立ちのことや、ふるさとのことや家族のこと、友人のこと、恋人のこと、そして今の苦しみのこととかをね。」

私「そして、どうしたんだい?」

友人「私は、彼の話をいつも真剣に聞いてきたんだよ。酒を一緒に飲んだときには、目に涙をにじませて、苦しかった経験を私に話したこともあったよ。私は、彼のことをよく理解したし、彼を励ましたりもしていたんだ。」

私「君は、良い人じゃないか!」

友人「でも、彼は去って行ってしまったよ。そして、私はさびしくて仕方がないんだ。大事な人を失ったような感じなんだ。」

私「君は、大事な友だちを失ったのじゃないかい?」

友人「そうかもしれないなあ。・・・いや、友だちじゃなかったんだ。・・・大事な友だちになれる人を失ったんだ! ・・・彼は私を信頼して、彼自身のたくさんのことを話してくれたんだ。そして、私は確かに、彼の話を真剣に聞いて、励ましたんだ。・・・しかしなあ、私はどれほど自分のことを彼に話しただろう。・・・私は自分の苦しみや悩みを彼に出さなかったんだ。出せなかったんだ。・・・なぜだろうなあ。・・・こういう出会いってなんなんだろう、友だちをつくる出会いだろうか。こういうのは、もう、遠い昔にあったきりのような気がするなあ。・・・友だちをつくる人間関係なんて、俺はもう、とっくに忘れてしまっているのかもしれない。・・・俺は、友だちのつくり方すら失ってしまっているんだろうか。」

私「仕事ばかりでは、友だち作りの人間関係なんて、忘れてしまっているかもなあ。ほとんど青年期のものだものなあ。若いときには、それが自然にできていたんだろうなあ。」