身体(からだ)のこと

僕は、ピアスをやたらつけているのも、髪をやたら染めるているのも、タトゥーを見るのも、気持ちよくないんだ。


若いときに腕に火傷を負ったことがある。

日を置いて父に会ったとき、「こんなになってしまったよ」と、僕は軽い気持ちでその傷跡を父に見せたんだ。

それを見た父は、まるで自分の身体をいためたかのように、悲しい顔をしたんだ。

僕は、そのとき、自分の体について一つの新しいことを知ったんだ。悟ったといってもいいんだけどね。

何を悟ったかというと、
僕の身体は確かに僕のものなんだけど、
僕の身体、それは皮膚、頭髪にいたるまで、僕の父母が僕に分け与えたものだということなんだ。

しかも、それらは確かに分け与えられたものだけど、でも、どこかで父母と分かつことのできないものとしてあるということなんだ。

うまく言えないけど、僕の身体、皮膚、頭髪は、親の身体でもあるし、
親の愛でもあるとでも言っちゃおうか。

それ以来、僕は、身体について、それまで以上に考えるようになったんだ。
健康はもちろんだけど、皮膚や髪をいためることにも気遣うようになったんだ。

こうしたことは、親である父が、僕に教えたというより、伝えてくれたことなんだよね。

この話は、親が子の痛みを感じることを思えば、その逆のこととして、理屈の上でわかるだろう?

感得しなければ、本当にわかったことにはならないだろうけど、簡単な理屈でわかるだけでもいいよ!

そして、このことがわかって、自分の身体、皮膚、頭髪さえも、大切にするということは、
僕らの古い言葉で言うと、「孝」ということでもあるんだ。
親孝行の「孝」だよね。古い言葉だけど、僕は、大事なことは大事にしたいと思う。

そんなわけで、
僕は、ピアスをやたらつけていたり、髪をやたら染めるていたり、タトゥーを見たりすると、
そのたびに少し心が痛むようになったんだ。


(子の痛みを自らの痛みと感じない、そういう親が増えているかのような現実は、「孝」をさかのぼる問題なのかもしれない。)