不幸せと幸せのなかで

自分や家庭が幸せの小高い山のうえにあるときには、なかなかそれとは気がつかない。

もし、気がついたなら、今一度しっかりとそれに気づき、感謝の念を持つとよい。

そして、そのことを通して慎み深く生きる姿勢を再び持つとよい。

人生の厳しい状況にあるときには、なんで俺が、私がと思うものだ。

しかし、そういうときにこそ、しっかりとした歩みをしなければならない。

しっかりとした歩みをすることによって、必ずあの時があってよかったと思えるときが来る。

それが、成長する人間の歩みの必然なのだ。

生きている今というものは、だいじな時、厳しい時には特に、自身の人生の時間という目で見るようにすることだ。

禍福は糾(あざな)える縄の如し(史記)、とはいうが、なにを持って禍とするか福とするかなど小さな私の目で見るだけではわからぬものである。

大きな視野で自身の人生を見、生成化育する自身というものに信頼を持ち、そこに生きる自分をなお生きる者として生きることである。