私しだい

人はそれぞれに「私」が見ようとしたものしか見えない。

それは、その人の目が見るものではない。

「私」が見たものなのだ。

それは、「私」しだいで善も悪に見え、悪も善に見えるということだ。

そこに真理があっても、「私」しだいでそれが見えない、ということだ。