私の内と外と方便

少々知識を得て、個人としての人の世界を、内界と外界、内なる世界と外なる世界などと言い、人のその夫々の経験世界をあれこれと説明する。

しかし、本来、人の経験世界には内も外もない。

立ち止まって、自己を思案したものに過ぎない。

一つの方便である。

実は、この方便が曲者である。

方便がまかり通ると、方便としてのものを真実と履き違えて生き、また、方便としてのものを真実と教え導き、そういう人間を再生させ、且つ、そのような社会が作り上げられていく。

こういうところにも「知」と「欲」の恐ろしさがある。