生きる知について考える

私たちは、自身のうちにある分別知と非分別知を、ともに大切なものとして、知らなければならない。

私たちは、分別知をもつことによって、自身が関わる物事の何たるかを深く広く知る。
ところがこれに固執すると、自ら自身が、「私」と区別されてしまう。
分別知は、自らの生から離れた知だ。
生きたものも死んだものもない知だ。
分別知は、何もかもを死んだものにしてしまう知だ。
その知は、人も、自身もそうする。

非分別知は、自身の生をもって、知る知だ。
しかし、何もかも非分別知で見ることになると、区別というものがあいまいになる。
死んだものも生きているものと同じになる。

これら分別知と非分別知の両方は、分かれることなく自身のうちになければならない。

人は、こうした自身のうちの知について、知らなければならない。