生のなかの愛

愛にもいろいろなレベルがあります。

もっとも深い愛は、私を超えたところから来るものです。
しかし、生きている私に本来伴っているものでもあります。
それは、大抵の場合、恋愛でいうところの愛とは異なります。

西田幾多郎は次のようにいいます。

愛というのは、すべて自他一致の感情である。
主客合一の感情である。
人が人に対する場合のみでなく、画家が自然に対する場合も愛である。
愛は欠けたる者が元のまったき状態に還らんとする情である(プラトー)。
西田幾多郎善の研究』)

それは、私が統一へ至ろうとする働きによって生じています。
私が統一へ還ろうとする働きによって生じています。

また、私というものが、完全へ至ろうとする働きによって生じるものです。

そしてそれは、つまり「愛」は、常に生のなかで働いているものです。

その常なる働きに、私がつながっていると感じられることが、満たされて生きるうえで大切なのです。
生を実感するうえで、大切なのです。

その愛は、激情のようなものではなく、静かで、深いものです。