2009-08-31から1日間の記事一覧

教師の威厳

人を導くものには、威厳というものがなくてはならない。 近頃は(というほど近頃ではないだろうが)、先生が子どもに馬鹿にされているようなことがある。 子どもも少し大きくなると、多少は常識を備えるから、そうそうあからさまに教師を馬鹿にすることも少…

極致(私の極致)

私は神だとかキリストだとか、私は佛陀だとか言おうものなら、おかしなやつだと、人は思うに違いありません。 しかし、悟りということでいえば、そこに至ることは極致といえるのではないでしょうか。 これは、それらを外界に見るところから、自己に見、やが…

特殊な感覚で見えるもの

以前、Sixth Senseという映画を見たことがあります。 主役は子どもで、見えないはずの人が見えるという内容であったと思います。 見えない人が見えるという話は、いろいろあります。たとえば、自分が自分を見る、ということもあります。 デイビッド.A.ヒル…

私を探す

人は、「どうもしっくりいかない」といった、「私」に対する感覚をもつことがある。 このなんともいかないもどかしい「私」への感覚をなんとかしようと、知識機能をフル回転さそうとする。 そんなことをやっても、満足するのは一時的で、しばらくすると、ま…

偽りの生活

ここでいう偽りの生活とは、本来の私の生活ではない生活のことです。 つまり、自分を見失った状態の生活です。 「これが、本当の自分の生活だろうか」 という問いが、自分のなかで起こってきたりすることがありましょうが、これは自分の生活が「私」としてし…