2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧
自分本位の言動とは、要するに身勝手で、利己的な言動ということだが、それは、たとえば、つぎのようなことと言ってもいいかな。 相手がたとえ困っても、自分が困らないものを選択する。 相手の心が痛んでも、言いたいことは言う。 相手が困っても、自分の要…
ゆっくり流れる時間が好きなんだ
何のために働いているか、だって? つまらんことを聞くな! 楽しく生きるためだ! 働くために働いてどうするんだ! 生きるために働いているんだ? 働くために生きていて、どうするんだ!
こんな、ふぉんわかした歌がありましたね。 遠い世界に旅に出ようか それとも赤い風船にのって 雲の上を歩いてみようか ・・・ 明日の世界を探しに行こう
気持ちよく落ち込む方法、 なんてのがあれば、 面白いって 思わない?
やさしさを求めてるっていうのは、 ちょっと気恥ずかしいかもしれないけど、 人から向けられる 自分への愛情を求めているんだよね、きっと。 子供でも、大人でも、お年寄りでも、いかつい男でも、気丈夫そうな人でも、みんなそういうのってあるんだよね。
人は、特別なときには、特別にやさしくなれるんだよなあ。 でも、 だからといって、 その人にいつもそのやさしさを求めると、 それは、 無理というものなんだよね。 きっと。 自分だって、やっぱりそうだもの。
人は、一人で生まれてきて、一人で死んでいくのだけれど、生まれてから、死ぬまで、誰かとの関係のなかで生きているんだよね。そうすると、やっぱり、温かい関係を大切にしたいよね。
人は、うそをつかずには生きられない。 うそをつくというのは、他者に対してというばかりではない。 自分に対しても、ということもある。 自分に対してもうそをつくというのは、少し厄介だ。 なぜって、自分が自分にうそをついているってことが、自分では本…
人の生きる道は、陸路だけではない。 水路もある。 ともすると、陸路ばかりを考えるが、水路があることも忘れてはいけない。 言うなれば、 陸路は自力本位の道だ。 水路は他力本位の道だ。 もちろん、以前にも書いたように、 私たちのもつ選択肢は、常に二者…
善人ぶってはいけない。 人は自分以外のものために生きているのではない。 本当に他のもののために生きているのであれば、「自分」というものを滅しなければならない。 しかし、普通の人間がそんなことができるはずもない。できたとしても、ほんの刹那でしか…
いのちを知らずに、いのちを生きているとすれば、 人間として、こんな悲しいことはない。
生きている「生」は、言葉や概念では伝えきれないし、それどころか伝えられないものなのです。 それでも、いかに生きるかの参考にと思うなら、 よい人の話は役立ちますし、よりよく生きたとされる人の伝記なども参考になります。 古くから読み継がれた古典な…
日常的、世俗的な生活の営みの世界の否定、 日常的、世俗的な生活の営みの世界の肯定、 そして、その狭間。 そして、 日常的、世俗的な生活の営みの世界の否定も肯定もない世界。
当人はわからぬが、他人にはよくわかるというものがある。 それは、 自分のことはよくわからぬが、他人のことはわかりやすいということでもある。 それだけ、自分のことを知るのは難しいということだ。
持てる者のそれぞれが、それぞれなりに供出をして、 その集められた財貨が、持たざる者へ、また、必要とする者へ、また人が必要とする時に、金品あるいはサービスとして提供される制度が、社会保障というものだ。 人は必ず病に会う、老いる。それは、人とし…
不運は、人間をたたき上げるか、押しつぶすかの、どちらかだ。 (黒澤明監督『野良犬』の一場面より) たたき上げられるのか、押しつぶされるのか、 しかし、いずれに向かうにも、この間で苦悩する時間というものがあるんだよね。 それが、また、とんでもな…
日本という国、あるいは日本人たちというのは、まことにたくましいと思えるときがある。 そこには、一つの興味深い特徴があって、 それは、他国、海の向こうにあるものに対する、あるいは海の向こうから来るものに対する、受容度の高さといっても言い。 言葉…