私というもの

私が私を制御(コントロール)する。

制御する私と制御される私がいる。

そして、制御する私と制御される私を包む私がいる。

制御される私の境界はある程度は確かで、ある程度は不確かだ。

そして、制御する私の境界はさらに不確かだ。

制御する私と制御される私を包む私については、制御する私にはすべてが不確かだ。

しかし、制御する私は、大きな私に包まれているだろうことを知る。

これは、大切なことだ。