ものと金に縛られて

狭い世界の中で常識とされている価値で生きれば、競争原理で動くことしかないし、お金に振り回されるしかないし、そうすると虚しい。虚しさをいやすために、またお金によってものを買い込まざるを得ない。虚しさのストレスの解消のために、ものに振り回されている。そういう程度の「もの」だったら、感情移入することもないから、簡単に捨てられてゴミとなる。そんなもののためにお金を使って、そのお金を手に入れるために、またあくせくしなければならない。まったく悪循環です。(槌田劭編著・地球をこわさない生き方の本)

この悪循環を断ち切るためには強い意志と柔軟さと寛容さ、そして賢明さが必要だ。
世間の常識的価値観に逆らいながらも、その常識的価値観を生きている人たちと共に働き、関係をもちつつ、その価値観による情報刺激に囲まれながら生きてゆくのだから、よほどしっかりとしていなければならない。周囲とは異なる価値観で生きる、強固な意志をもたねばならない。
だからといっていつも周りと強い緊張関係にあるようではストレスが大きすぎる。ともすると排斥される。だから、自分と価値観の違う周囲の人たちを受け入れなければならない。また、価値観がぶつからないように巧みな関係をもたねばならない。そこに賢明さが求められるのである。
ものと金に縛られる生き方は、我々の骨の髄まで浸透している価値観に拠っている。従って、病んでいる自身の問題の本質には気づきにくい。
ミヒャエル・エンデの時間泥棒の話も同じだ。
しっかりしていなければ、ものと金に縛られて、気づかぬままに人生は失われてゆく。