本質をみる目

「ものの本質がわかるということはすばらしいことであった。
彼らは古いすすけた道具など見てもそれを汚いものと見ないで、その中にひそむ造形的な美しさに心をひかれた。」
宮本常一民俗学の旅』より)

これは、宮本常一さんがある美術大学・短期大学で学生さんたちを教えたときに、そのうちの一部の学生さんたちとの交わりから受けた感想の一端である。

物も事態も、その表面に心を留めていたのでは、本質を知ることはできない。

上辺のものは、移ろうものだ。

物や事態の上辺が、キラキラと輝いていたり、汚く汚れていたりしても、それがそのままそのものの真価を表しているわけではないことを、わたしたちはみな知っている。

そのようなことを、私たちはいつ教わったのか、また、誰から教わったのか。

私たちは、そのような問いに正確に応えられない。

私たちは、本当のことを知りたいと思う心とそれが物事の上辺では知られないという知恵のようなものを、備えて生まれ、備えて生きているに違いない。