地を考える
地というのは、だいじなものだ。
故郷を離れた者が古里を恋しがるのも、ただ故郷の人を恋しがっているばかりでないことは、皆知っていよう。
「水が合わない」という言葉があるが、これは、その地から湧き出るものに自己が合わないことを言っている。
地を大切に思う人たちは、その道理を知らなくても、そのようなことがあることを知っているのだ。
その地が居心地が悪いと思うなら、できることならその地を離れる方がよいだろう。
それができぬなら、その地に慎ましく生きることだ。
人によっては、この土地こそ自分が住む土地だと察知し、住まいをそこに求める人がある。
このようなことができる人は幸せと言えるだろう。
我々にとっての地のだいじさは、言い尽くせないほどのものがある。
ゆえに、足もとのそれをよくよく考えて生きるべきである。
「人は地に生まれて地に死すれば、畢竟地を離るる能わず。故に人は宜しく地の徳を執るべし。」
(佐藤一斎「言志後録」37章)
故郷を離れた者が古里を恋しがるのも、ただ故郷の人を恋しがっているばかりでないことは、皆知っていよう。
「水が合わない」という言葉があるが、これは、その地から湧き出るものに自己が合わないことを言っている。
地を大切に思う人たちは、その道理を知らなくても、そのようなことがあることを知っているのだ。
その地が居心地が悪いと思うなら、できることならその地を離れる方がよいだろう。
それができぬなら、その地に慎ましく生きることだ。
人によっては、この土地こそ自分が住む土地だと察知し、住まいをそこに求める人がある。
このようなことができる人は幸せと言えるだろう。
我々にとっての地のだいじさは、言い尽くせないほどのものがある。
ゆえに、足もとのそれをよくよく考えて生きるべきである。
「人は地に生まれて地に死すれば、畢竟地を離るる能わず。故に人は宜しく地の徳を執るべし。」
(佐藤一斎「言志後録」37章)