苦しみとの遭遇

この世の中には悪魔がいる。
ピアニストのフジ子・ヘミングさんは、確かご自身の人生を振り返るなかでそのように言っていたと思います。

もちろんこの世に悪魔が実在して、その悪魔に出会ったというわけではないでしょう。
言っている意味は、人生ではとんでもない思わぬ苦難に、降って湧いたかのように遭遇するということでしょう。
大きな苦難は、人生の歩みのなかで、誰にでも必ず一度は起こります。人によったら、それは二度以上起こります。
それは、例えば、死んでしまうことばかり考えしまうような苦難の状況です。
しかし、大抵の人は死の危険から必ず脱します。そうでなければ人類なんてとっくに滅んでいるでしょうから。
フジ子・ヘミングさんも大変な苦難に遭遇したようです。そして、それを乗り越えたのでしょう。
人生途上の大きな困難をどう乗り越えるかについては、一つの大正解の方法はありません。
全ての人間が必ず経験するのですから、乗り越える唯一の方法があるなら、人類はとっくにその方法を明示しているはずです。そして教えられるでしょう。でも、それはない!
思うに、乗り越える方法(乗り越えられた理由)は一つではなく必ず二つ以上あります。そして、そのうちの必ずある一つというものがあります。
それは、我慢とか辛抱とか忍耐とかと言われるものです。
なんだ!と言われるかも知れませんが、これは必ず大なり小なり必要なものです。
残りは一つあるいはそれ以上です。

不登校とは学校へ行けなくなることか

不登校とは「学校に行けなくなること」だと解するのは、多分普通のことでしょう。しかし、そんなふうに解してばかりいることに、慣らされてよいのかどうか。
各種報道でも、「学校へ行けなくなった」子供達と表現し、不登校の児童生徒数のグラフが表示されたりします。つまり、学校へ行けなくなった子供達イコール不登校児だと、大抵の大人たちや子供達の脳にインプットされるのです。
しかし厳密には、不登校とは子供が学校へ行けなくなったり、行かなくなったりして欠席を続ける現象です。
少々ややこしいことを言いますが、不登校をどう解するかで、その子供に対する親の対応行動も違ってくるし、子供自身の自己評価だって変わってきます。
私達の脳は、「学校へ行けない」を「学校へ行きたいけど行けない」とも解するし、「学校へ行かなければならないけど行けない」とも解します。それから「学校へ行こうとするけど行けない」と解するのもあるでしょう。そう解するとなると、この事態を「なんとか学校へ行けるようにしてやろう」あるいは「学校へ行けるようにならなければ」と考え、そうした行動をするのは当然のこととなります。それはそれで良いでしょう。
しかし時には、否、往々にして次のように考えることも必要です。この子は(あるいは私は)「学校へ行けない」のではなく「学校へ行かない」のだ、と。つまり「この学校へは行かない、という選択をしているのだ」と考えることも往々必要です。
しかし先に言ったように、「学校へ行けない」と頭に刷り込まれているとなかなかこの発想に向かわない。あるいはブレーキがかかる。

不登校には、「こんな学校なんかに行くものか!」というのも、「こんな学校なんかに行かせてなるものか!」という考え方も十分にありです。その意味ではかつて使われていた「登校拒否」です。積極的登校拒否なのです。
となると、今度はそれなりの対応や行動を起こさねばならない、と考えるようになります。

子供の一番の味方になれるのは誰よりもその子の親なのだ、ということをよくよく親は知らねばなりません。であるがゆえにこそ、ここでいう発想は大切なのです。
さらに自分にとっての一番の味方は自分自身なのだということも自覚すべきです。だから「子供自身(自分自身)が一番苦しんでいる」のです。こうした「自分自身」という考え方はだいたいこのブログに一貫していると思います。
(注意書きをしておきます。かつて使われていた「登校拒否」という用語は、積極的に登校を拒否するという意思表示のために使われていたわけではありません。かつて使われた「登校拒否」が現在の「不登校」だと理解してよいでしょう。)

いのちと私

私が「いのち」を持つのではない、「いのち」が私になっているのだ。(西平直「魂のライフサイクル」)

「いのちが私になる」とは、どういうことか。

普通は、「私のいのち」と考える。しかしこう考えると、「いのち」は私の従属物だ。
「いのちが私になる」というのは、私より先にいのちがあるということだ。そして、そのいのちから「私」が生まれてきたと考える。

これは理屈にかなっている。
「私」が生まれたのは、記憶をたどれば、3、4歳頃だろう。私の記憶の最初がいつかを考えればよい。心理学的には自我の発生だ。何年何月何日とは言えないが、私の記憶の始まりが「私」の誕生だ。

では、そのいのちの誕生はどうか。「私」の誕生の3、4年前にこの人間社会に出てきたのだ。さらにその発生は、その10か月ほど前だ。「私」より先に、このいのちは「ある」のだ。
ならば、「いのちが私になる」というのもうなづける。

自身のいのちへの謙虚さがもともと備わっているのは、きっとそういうところから来ているのだろう。
「もともとには備わっていない」と言う人は、きっともともと備わっていたことをすっかり忘れてしまったのだろう。

「私」はこのいのちの従属物なのだ。ならば私は、このいのちに、あまり偉そうになってはいけない!

人生の最後には、「私」は、「私のないいのち」へと還ってゆく。

「永遠のいのち」を考える人や研究者もいるが、この場合には「私」は「「私」のない永遠のいのち」へと還ってゆくことになる。

いのちが私になっているのなら、いのちに私が、傲慢になってはなるまい。

いのちは誰のものか

自分のいのちは、自分のもの。
確かにそうだ。
私のいのちは、私のもの。
あなたのいのちは、あなたのもの。
確かにそうだ。
確かにそうなのだけど、少しぼんやり考えてみると、そうとも言えないような。
そう。
「そうとも言えないような」というところが大事なのだ。
頭だけで考えていると、つい一つの答えを出そうとする。
生きているって、そんなに単純なものじゃあない。
生きているって、複雑だ。
このことは、きっとうなずけるだろう!
このうなずきこそ大事なのだ。
「このいのちは私のもの」なんて、単純には言えない。
自分のいのちは自分のもの、私のいのちは私のものなんてばかり、単純に考えようとしてはいけない。
こんな大事なことを単純に考えようとする誘惑に、負けてはいけない。

「いのちは誰のものか」についての私なりの考え方は、このブログのいろいろなところに書いてきている。きっと、この後も書くだろう。

「私のいのちは私のものなんだから、どうしようと私の勝手でしょ」なんて、目の前で言われたら、誰だって「えっ!」とか「おいおい」とか思うに違いない。

また、「私のいのちを、私の思うようにさせてほしい」と、目を見つめて言われたら、一瞬「う~ん」ってなっちゃったりするだろう。

「いのち」って、そういうものなのだ。
「いのちが誰のものか」っていう問いの答えは、そういうところにある。
そして、考えるというよりも、感情や気持ちを静かにして、素直になれば、その答えがみえてくる。

要領よく

要領よく生きるといっても、このブログでは勿論、私利私欲を満たすためではない。このブログの中でそれは、ほぼ一貫していると思う。

「私がより私になる」ためとか、「より高次の私になる」ためとか、「私という存在をより開花させる」ためとか、このブログではそのままではないとしても、そうした表現があちこちにある。
ここでも、「要領よく」とは、そうした意味において言いたいがためのものである。

要領とはずるく立廻る事のようにとられるが、右か左か選択に迷う時、決断して最善の努力を尽くす事が真の要領(渡部良辰、雲助部隊)

渡部氏の本によると、彼はあのビルマ戦線を生き延びた人である。

ここでの要領とは、私というものを生かしめ活かし、且つ生かしめていく要領を言っているように思う。生死を分けた経験からのものと思う。私利私欲のための要領ではないだろう。

その場その場で自身がいかに振る舞うかは、時には大変単純で、また時には大変複雑だ。私たち人生の日々は、大小の決断の連続だ。

そうしたなか、要領というものは状況が複雑であればあるほど大切な意味をもってくる。

氏は要領を説明するなかで、簡単に決断と書いているが、この決断に際しては、松居トオル氏を参考に私なりに言えば、感情を波立たせず、思考を正しく働かせてなされることこそ大切だ。
別の表現をすれば、「本当(本来)の自分に従って決める」でもいい。これは、これまでのこのブログに書いてきている。

次に渡部氏は、決めたことに努力を尽くすとしている。決めたことに最善を尽くすでもよい。
ただ、ここでも私なりに補足させて頂ければ、決めたことにこだわりすぎないことは必要だ。状況は変わり得るからだ。自身の本来に従えば自由自在だという言い方もある。

渡部氏は、先に挙げた真の要領という文面の後に、次のように言っている。

それ以上の人間の手に負えないものがあるとすれば運命というものだろうか

努力を尽くした後は天に任せるでもいい。大変な困難の中で努力をした人がよく言っていることである。

なお、氏はこの文脈の最後に、

私は幸運に恵まれていたようである

と書いている。
度重なる生死を分ける状況の中で、決断と最善の努力の結果が運が良かったとも取れるし、全てにおいて幸運であったとも取れる。
そうでなければ、亡くなった人たちは浮かばれない。
しかし私は、運についてはある程度までだが、自分でつくっていけるものだとも思っている。また、簡単に考えてそれができるものではない、とも思っている。

なお要領を、善良な人、生真面目な人、優しい人、内省の強い人たちは、通り一遍にずるいことだと思わないようにしなければならない。
こうした人たちは、少々の私利私欲のための要領は身につけた方が良いだろう。
まずは要領のいい御仁をよく観察することだ。
これは話がそれるので、このくらいにしておきます。多分、このブログのどこかに書いているでしょう。

自由独立を目指して

ここでいう自由独立は、独立自由と表現してもよい。自由独立の両端をとって自立でもよい。
これは、他人(自分以外の人)に飲み込まれないで自分らしくしっかりと生きることでもある。当然それは、他人の価値観(他の誰かの価値観や世間の価値観)で生きることではない。
自分以外の人とは、社会的には「仲間」と表現してもよい。
仲間との関係では、

「仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。」(中村元訳:ブッダのことば;蛇の章;犀の角)

「遊戯と歓楽」とは、ひとときの悦楽である。一時しのぎの楽しさである。一時しのぎであることの証拠は、その後に生じる虚しさ(虚無感)や寂しさによって確認できる。仲間の中にいれば自分がどこまでも独りであるということを忘れ、楽しいひとときを過ごすことはできるが、いっときのことである。このひとときが過ぎれば、たちまち自分というものが独りであることに気づかされる。これは人間の健全さでもある。

一方、
「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねに人に呼びかけられる。」(中村元訳:ブッダのことば;蛇の章;犀の角)

仲間の中にあれば、常に人を気遣いながら、また、常に人に気遣われながら、生きることになる。気遣われるという温もりを得る代わりに、気遣われることの煩わしさのなかで生きることになる。温くて居心地がよいが、自分らしく生きられないもどかしさと、不充足感で生きることになる。この自身の不充足感は、いわば他人への従属による、自分らしく生きられていないことによる不全感である。

そこで、次のように言われるのである。
「他人に従属しない独立自由をめざして・・・ただ独り歩め。」(中村元訳:ブッダのことば;蛇の章;犀の角)

ただ、世間の偉い(ような)人たちは、そう言って終わる。しかし、騙されてはいけない。
かく言う人たちも、そのようには生きていない。また、日々に経を唱え、寺を守るお坊さんたちも皆、人に煩わされながら生きているのである。

では、自分らしく生きるために「他人に従属しない独立自由をめざして」「ただ独り歩」むにはどうすればいいか。
それは、自分以外の他者との適切・適当な距離をもって生きる、ということだ。
これは、人間誰しも無自覚的に、ある程度はやっている。しかし、ここでいう独立自由を目指して生きようとするなら、より自覚的に「適切・適当な距離をもって生きる」ことをしなければならない。
ただし、独りであることに苦しい時は距離を取ることに無理をしないことだ。

「適切・適当な距離」については、このブログのどこかで書いていると思う。

夢をかなえるために

夢をかなえるためには行動がなければだめだ。行動を起こさなければだめだ。行動がなければ、夢は夢、空想に終わる。

実行に当たっての心がまえは、人目ばかりを気にしないことだ。人は人、自分は自分だ。自分の内容を充実させるための実行だ。未熟であれば失敗もしよう。人間ならば当然だろう。・・・体裁ぶることはない。・・・自分が人目を気にするほど、人目は自分を気にしていないと悟るべし。(邑井操・勇気が湧きでる本)

邑井氏はシベリア抑留で壮絶な経験をしている。壮絶な経験をしている人が皆すばらしい人間になっているかどうかは分からぬが、彼の語っている内容には学ぶものが多い。
夢に近づくためには、行動を起こさなければ近づけない。その行動を起こせなくさせている原因の一つに、人目を気にするということがある。しかし、人は自分が思うほどには、こちらのことを気にしていないものだ。皆、自分のことで精一杯なのだから。
夢の実現の道は、人生の終わりまで続く道だ。若い時から始まる夢追いの道は、自身が自分の人生を、いかに自分らしく生きるかの道なのだ。そして、その夢追いの道は、人生ずっと続くのだ。人生の最後まで続くのだ。人生最後の夢追いは、自身の人生をいかに自分らしく終えるかの夢追いだ。
夢の実現には行動がなければだめだ。