要領よく

要領よく生きるといっても、このブログでは勿論、私利私欲を満たすためではない。このブログの中でそれは、ほぼ一貫していると思う。

「私がより私になる」ためとか、「より高次の私になる」ためとか、「私という存在をより開花させる」ためとか、このブログではそのままではないとしても、そうした表現があちこちにある。
ここでも、「要領よく」とは、そうした意味において言いたいがためのものである。

要領とはずるく立廻る事のようにとられるが、右か左か選択に迷う時、決断して最善の努力を尽くす事が真の要領(渡部良辰、雲助部隊)

渡部氏の本によると、彼はあのビルマ戦線を生き延びた人である。

ここでの要領とは、私というものを生かしめ活かし、且つ生かしめていく要領を言っているように思う。生死を分けた経験からのものと思う。私利私欲のための要領ではないだろう。

その場その場で自身がいかに振る舞うかは、時には大変単純で、また時には大変複雑だ。私たち人生の日々は、大小の決断の連続だ。

そうしたなか、要領というものは状況が複雑であればあるほど大切な意味をもってくる。

氏は要領を説明するなかで、簡単に決断と書いているが、この決断に際しては、松居トオル氏を参考に私なりに言えば、感情を波立たせず、思考を正しく働かせてなされることこそ大切だ。
別の表現をすれば、「本当(本来)の自分に従って決める」でもいい。これは、これまでのこのブログに書いてきている。

次に渡部氏は、決めたことに努力を尽くすとしている。決めたことに最善を尽くすでもよい。
ただ、ここでも私なりに補足させて頂ければ、決めたことにこだわりすぎないことは必要だ。状況は変わり得るからだ。自身の本来に従えば自由自在だという言い方もある。

渡部氏は、先に挙げた真の要領という文面の後に、次のように言っている。

それ以上の人間の手に負えないものがあるとすれば運命というものだろうか

努力を尽くした後は天に任せるでもいい。大変な困難の中で努力をした人がよく言っていることである。

なお、氏はこの文脈の最後に、

私は幸運に恵まれていたようである

と書いている。
度重なる生死を分ける状況の中で、決断と最善の努力の結果が運が良かったとも取れるし、全てにおいて幸運であったとも取れる。
そうでなければ、亡くなった人たちは浮かばれない。
しかし私は、運についてはある程度までだが、自分でつくっていけるものだとも思っている。また、簡単に考えてそれができるものではない、とも思っている。

なお要領を、善良な人、生真面目な人、優しい人、内省の強い人たちは、通り一遍にずるいことだと思わないようにしなければならない。
こうした人たちは、少々の私利私欲のための要領は身につけた方が良いだろう。
まずは要領のいい御仁をよく観察することだ。
これは話がそれるので、このくらいにしておきます。多分、このブログのどこかに書いているでしょう。