善意に吸いつく

人間にはいろいろな人がいる。

依存することに慣れた人は、人の善意に引き寄せられるようにやってくる。

そして、人の善意を当たり前のように吸う。

「もっとほしい、もっとほしい」という感じだ。

食っても食っても腹が満たされないという姿は、餓鬼のようなものだ。

依存することに慣れるというのは、恐ろしい。

しかし、社会も人々も、そういう人間をつくる向きがあるので、
そのあたりは難しいところだ。

現代では、権利という言葉をうまく使って、要求したりもできるようになっている。
善意として受けるものと権利として得るものの境界は、日常の人間関係の世界では、時としてあいまいなものであるからだ。

善意を求められると、拒むのは難しい。

そこに付け込む者もいる。
付け込まずとも、受けることに慣れきった者は、善意が受けられなくなったり、あるいは要求することの人としての稚拙さを指摘されようものなら、牙をむいて悪態をつく。
あるいは、周りの者にいかに傲慢な人間かと吹聴したりする。

このように
善意を受けることになれた者には、まことに厄介な者が多い。

人生を生きる過程で、こうした者に出会った場合には、善意のこころがあっても安易に見せぬことだ。
また、ほどほどの距離をとっておくのがよかろう。
情けは人のためならず、などとも思わないことだ。