人間関係は3種!

これは、「私」はどの種の人間関係を大切にするか、大切にしているか、大切にすべきかを考えたとき、思いついたものだ。

自分が日々かかわりを持っている人間というのは、本当にたくさんいる。
しかし、これらの人たちを、自分を中心にした人間関係で見てみると、その種類はきわめてわずかなものとして考えることができるのだ。

つまり、自分がかかわりを持っている人をどの種類の人間関係のうちに入れることができるかと考えると、きわめてわずかな分類で収めきれるように思うのである。

その分類とは、3種あるいは4種である。

それぞれをあげてみる。

(1)身内の関係
(2)友人の関係
(3)社会的関係
(4)その他

本当は「その他」を除いて3種と言いたいのだが、相当強引に絞ったので、これら3つとか2つの重なり部分に位置するもの(あいまいなもの)として「その他」を加えた。

身内の関係とは、血を分けた関係(血族関係)であったり、その元をなす関係である人だ。生計を共にする関係も入れることができる。自分にとっての親、兄弟、祖父、祖母、叔父、叔母、子供、内縁関係などの人間である。

社会的関係とは、会社の同僚、学校のクラス仲間、上司や部下、その他仕事関係の人、学校の教師であったり生徒であったりなどなど、自分が会いたいとか会いたくないとかとは無関係に社会関係上会う人たちである。日ごろは、これがけっこうややこしいのであり、煩わされたり、大きなストレスの原因となったりする。

身内の関係と社会関係として出会う人というのは、自分が好みで選べないところは共通している。したがってここで生じるストレスから逃れるというのはたいへんである。

これらに対して友人の関係というのは、自分が好みとして選んでいる人である。

これらの種類をA,B,Cとすると、AであるがBともいえる人もいれば、BでもあるがCでもあるという人もいるだろう。また、CでもあればAでもあるという関係にある人もいる。

それで思うのは、
自分がその人生のなかで、どういう人を大事にしているか、あるいは大事にするか、ということだ。

幼いときは、身内である。大事にするというよりも、それしかないのである。

幼少期から少年期、青年期には、これに友人関係、社会関係が加わり始める。
人間関係の複雑さの始まりである。
社会関係というものには気づかないが、友人関係では大いに悩む時期を迎える。身内との関係でも、思春期青年期では悩み始める。この時期、社会的関係については、当人は気づかないが実は問題要素としては存在しうる。たとえば、幼稚園・小学校・中学校・高校の先生や生徒、学校の職員、塾の先生などもあるだろう。生徒も、大人でいえば同僚という社会関係のようなものだ。生徒仲間との関係はときに大きな悩みの種となる。教師も、年齢がいってくると社会関係のようなものとして、おぼろげながら意識することとなる。なかなか、意識できないものではあるが、近頃の子供は昔の子供と比べると比較的早くにその関係を認識し始めるのではないだろうか。

働き始めると、あるいは学校という主たる生活の場を卒業すると、社会関係としての人間関係が大きなものとなる。

次に、退職など、仕事を中心とした生活を離れると、社会関係としての人付き合いは減少する。

では、それぞれの時期に、どの種類の人とのかかわりを自分は大事にするのか、あるいはしているのか、あるいは大事にしようとするのか。

今の私が、一貫してと大事にすべきではないかと考えるのは、やはり友人である。

ちなみに、退職してからもいろいろな社会活動やサークルに入るべきだという者がいるが、友人がいないので友人を作るということで考えるなら異論もないが、これとても新しく社会関係として付き合う人を自分の周りに作るということであり、情けなく思う。

自分のよき理解者としての友人は、やはりどこまでも大切にすべきと思うし、大切にしたいものだ。