自分を責める人

「責める」ということについて、人の性格を考えてみると、二つのタイプに区別できる。

1つは、自分を責める傾向の強い人、もう1つは、他人を責める傾向の強い人だ。
短い言葉で言えば自罰的な人と、他罰的な人とに区別できる。「他罰」を押し広げて言えば、他の「人」を責めると限定せずに、「自分以外のもの」を責める傾向と考えてもよい。

ここでは、自分を責める人について、その人たちに向けて書いておこう。
というのは、自殺をしようとする人の中にも、こういう人が多いように思うし、人間関係で悩む人の中に、自罰傾向の強い人、つまり自分を必要以上に責める人が多いと思えるからだ。

そういう人の話を聞いていると、何でそこまで自分を責めるの? と、すぐに考えてしまう。

いろいろ愚痴を聞いていると、「どう見ても、あんたではなくて、そいつが悪いではないか」とか、「あんたの周りの人の方が悪いではないか」と、思えてくることが多い。
なのに、その人は自分ばかり責めて、もがいていたりする。
(まあ、その人(もがいている人)は、とってもよい人なのだ!そもそもそこが問題なのだが・・・。)

そういう人の話を聞いていると、自分をつらい目に追い込んでいるのは誰であるかをわかっているかのようなのに、でも、「そいつ」を責めないでいる。「その人にはその人の事情があるのだろうから」とか、「その人にもいいところもあるし」とか「その人の言うのももっともだ」といいながら、結局自分を責める方向に考えは流れていく。

自分を責めて、責めて、苦しくて苦しくて、もがくくらいなら、めいっぱい他人を責めてよいのだ。人間は自分にとって、よい人間ばかりではないのだ。自分を苦しめる者は、絶対自分より悪い人間なのだ。
(もちろん、おじさんはこういうことは他罰的な人間には言わないよ!)

人を、「あんなやつは死んでしまえばよい」とか、「殺してやりたい」と思ったり、「かすやろうだ」とか「犬畜生にも劣る」とか「人間のくずだ」とか、どれほどののしってもかまわない。

自分の中で考えていることなのだから、思うことにまで罪はない。思うのは、いくら思ってもよいのだから。
それが罪だと考えるのは自分自身だけなのだ。そういう自分自身の殻を解き放って、めいっぱい、自分を苦しめる者(者たち)をののしるとよい。

日常生活がうまくやれなくなるまで苦しむくらいなら、まして、自分をだめな人間だとかと考えて、自分を追い込んでいくくらいなら、他人を責めなさい。
いつの間にか自分を責めてしまいがちな人は、まず、自分だけの世界で、めいっぱい他人を責める訓練をしなさい。

(くれぐれも、「自分は自罰傾向の人間だからだめなんだ」と、再び自分を責める「わな」にはまらないように!)