小指の思い出(落伍者)

「小指の思い出」と言えば、小指を怪我でもしたのかというと、そうではない。

ずっと以前に、「小指の思い出」(?)という歌があった。

「あなたが 噛んだ 小指が 痛い~♪」
この歌詞、この曲、いいですねえ。これを作ったのはどなただったか。
ガキの恋ではなく、大人の恋の歌ですねえ。

でも、このたびは残念ながらそういった甘いお話ではない。こういう話は、またいつかということで。

以前、小指のない人に出会ったことがある。
足の小指ではありませんよ。もちろん手の小指です。「つめた」んですね!

しかも、両手の小指がないのです。
いったいどうしたのでしょうか?

その人の背中には、立派な絵が描かれておりました。彫られていたと言うべきでしょうか。要するに刺青(いれずみ)です。しかし、少々皮膚もたるんできていたから、絵の方もたるみ気味でしたが。
(これ、一回入れると、消せないからね!まあ、大金払って、ちょっとくらいなら何とかなるかもしれないけど。)

で、ご他聞にもれず、といいますか、肩で風切るような歩き方をなさっていましたね。

でも、周囲のお仲間からは、ほとんど相手にされていないご様子!

漏れ聞くところでは、どうもお薬に手を出されたとか。
(そのお薬、胃腸薬とか頓服とか下剤ならよいのですが、ご想像のとおり、そうではありません。)

その世界、販売者はよいが、自らお薬に手を出してしまうとどうなるか。
どうもその世界でも相手にされなくなってしまうらしい。

要するに落ちこぼれ。
つまり、彼はその世界での落伍者になってしまったのですね。

私は、人間世界の哲学(?)を、ここにもみましたね。

どこの世界にも、落伍者の世界(失礼!)にも、そのうえの落伍者というのがあるのだ、と深く考えてしまったのです。

落伍者の世界にも、落伍者を作り出す構造がある、あるいはそのように見なされる関係世界があるということでもありますね。

これは、権力を手にしている人たちの世界のなかにも、さらに権力を手にしようと競う世界があるのとよく似ています。そして、そこにも落伍者と見なしたり見なされたりする関係世界がある。

上から下まで、本当に人間の世界は幅広いけれども、本質は常に単純ですね。