いのち

いのちあるものをモノ化するのは簡単だ。

いのちあるものを、「モノ」として食っているではないか。

いのちあるものに対して、恭(うやうや)しくいただき、食するこころなど、どこへおしやってしまったのだ。いやいや、そんなこころは笑うべきものにしてしまった。

人をもののように扱うなという怒りだけは残っているが、その怒りが何であるか、すでに知らなくなってしまった。

これは、生きているのにいのちが失せてしまった生き物だ。

いのちあるものの尊さを言葉として覚えてみても、声高に叫んでみても、その音は人のいのちに響かない。

自らもいのちあるものであることを知りながら、そのいのちをモノ化してしまっていることにも気づかなくなってしまった。

自らのいのちをモノとして殺していく。

その病は、すでに蔓延している。

己をモノ化するな。

「わたし」は、モノではないと言い続けよ。