私と私のなかにある力と教育

それぞれの人の「私」のなかに宇宙の力が働いているのだと思います。

こういうことを言うと、少しおかしな人間のように思えるに違いないですが、
よい言葉が見つかりませんので、「私」のなかに働いている力を宇宙の力としておきます。それは宇宙の摂理をもつものです。

その宇宙の力が「私」を生かし、「私」はその宇宙の力に生かされているのだと思います。

もちろん私がその「私」を生きているに違いないのですが、それでもその宇宙の力には及ばないでしょう。それは、お釈迦様の手の上を飛び回って、生意気を言った後、驚いた孫悟空のようなものです。

ある人はその宇宙の力を神と言い、ある人はそれを天理と言い、ある人はそれを仏と言うかもしれません。

その宇宙の力が乏しくなって、「私」の寿命も乏しくなっていきます。

やがて「私」はいのちを終えます。

それは「私」から宇宙の力がなくなってしまったのでしょう。

もちろんこの世界から、宇宙の力がなくなったのではありません。

宇宙の力が及んでいた「私」がなくなっただけなのです。

その力は、ずっと、いたるところに及んでいるのですから。

しかし、私は、明らかにいなくなるのです。

その力はエナジーですが、単なるエナジーではありません。
私たちは、生きることを自覚するとき、その力を良知として知り得るのでしょう。

しかし、それは知り得るのであって、知るといえるわけではありません。

本当の意味では、それをしっかり自覚せずにいのちを終える者の方が多いのだろうと思います。

それは、やはり残念なことだと思います。

人として生きたならば、良知を知る教育、そして良知を致す教育が是非この社会に必要だと思います。
それは良知を生きるとか、良知を生かす人間を育てることになるからです。
それは、より創造的な人間を育てることになるでしょうし、よい社会を作り出す人間を増やすことになるでしょう。