私と万物の一体

「心が痛む」という表現があります。

誰かがたいへんなめにあっているのを知ると、多くの私たちは心を痛めます。

人間でなくとも、生きているものが痛ましいめにあっていると、私たちは心を痛める思いをもつことがあります。

また、生きているものでなくても、形あるものが壊れていくのを見ると、心を痛める思いをもつことがあります。

それを説明するのに、同情とか共感とかという言葉を使ったりします。

もっと深いところで、ものの哀れを感じる心があると表現したりもします。

しかし、なぜ「それ」を感じるかというと、私の内に「それ」があるからなのだろうとも思えます。

「それ」は、もう私の外のものではありません。

このことをさらによく考えて見ますと、

それは、「私の内奥には」という表現もできますし、「私は」という表現をしてもよいのですが、

つまり、私は「万物と一体である」というところに、その根本を考えることができます。

こういうことは、頭が足裏からあまりに離れると、理解しにくくなってしまいます。
また、私欲に心の多くが奪われていると、わかりにくいかもしれません。