男女の世界

男女平等といってわいわい言うのは、まあ、言ってくれていいのだけれど、
それはそれとして、
男には男の世界があるのだ。

そして、女には、(きっと)女の世界があるのだ(と思っている)。

女たちがぺちゃくちゃしゃべっているところへ、入っていって、こっちも一緒になって、ぺちゃくちゃしゃべろうなんて思わないし、
そもそも、ぺちゃくちゃというのが、女だからの話なのだ。

では、男はというと、
わいわいとか、ぐちゃぐちゃとかしゃべるのだ。
そこに女が入ってくると、ちょっと困るのだ。

やっぱり気を使うからね。

この男の世界と女の世界というのは、まあ、性の問題だろうな。
そう、性なんだ。

この性というのは、時代が変わっても、そうそう変わらないものだ。

大槻ケンヂというちょっと若い人が、こんなことを書いている。

 十代の日々、我々リビドーモンモン男たちはまだ見ぬ異性の裸体を思って日々を過ごしていた。日が昇り日が沈み月が空にほえる二十四時間の内、約二十三時間はそのために費やしていたといっても過言ではなかろう。
 まさにリビドー詰肉袋といったところか。

こうした男たちが、わいわいとか、ぐちゃぐちゃとか言って、
時々、モンモンとしたものを吐き出したりする十代を生きるところから、
はっきり男の世界が始まるのだ。

つまり、これは、性なのだ。
もう、わかる人はわかっていると思うけど、
これは、サガと読むのだからね。セイと読まないでね。

こういうことから遊離して、浮遊人化している女たちや男たちの中に、
奇妙な世界を作り出している人たちがいるみたいなんだ。

平等論が、性を乗り越えれるとでも思っているのだろうかなあ。

これでは、セックスレスだって起こってきても不思議はないのさ。

うんすかうんすかしながら、平等論なんて考えていられないし、
さっきまで平等論を唱えていた頭で、わっさかわっさかしていたら、
どこかがおかしくなっちゃうに決まっている。

まあ、そんなわけで、
しっかり、男たちは男の世界を持っているって、きっちりかっちり自覚してた方がいいし、
女たちは、当然、女たちの世界があっていいのだよなあ。