いつの間にか耳目に入る怖さ
先日、遅い昼食を一人ラーメン屋でとっていたときだった。
客も少なく、ざわついてもいなかったせいか、ちょっとしたことに気がついた。
ラーメンをすすりながら、ぼんやりとしていたのだけれど、
いや、いや、ぼんやりとした頭で、ラーメンをすすっていたのだけれど、
ふと気がついたのだ。
店のテレビがついていて、その音が気がつかないうちに、私の頭の中に入ってきている。
それは、店に入って、その席に座ってから、ずっと私の頭の中に入ってきていた。
それで、その音声が私の頭に入ってきているということは、実は当初は気がついていなかったのだ。
しかし、ぼんやりとした頭でラーメンをすすりながら気がついたこと、
それは、
「さっきから、ずっとコマーシャルが続いているなあ」
「次から次と、なにやら、ずっとCMばかりじゃないか、番組はいつ始まるんだ!」
ということだった。
「いつから、こんなにCMの時間が長くなってきたんだろう?」
「いつの間にか、少しずつ長くされてきたのかなあ。」
「アア、こうやって、人は知らず知らずのうちに、購買意欲が掻き立てられていくのだろうなあ。」
「・・・ろくに収入もないのに、金を借りてものを買ったり、次から次へと新しいものを手にしたくなったりするように、されていくのだろうなあ・・・」
(このあたりは、ぼんやりした頭でうっすらと考えていたことを、後からひっぱりだして鮮明にしたものですけどね。)
ということで、再びラーメン屋の場面に戻りますが・・・
・・・おっと、急がなくっちゃ! 時間に遅れてしまう!
私のおぼろげな思考は、そこまでだったのだけれど、
しかし、後から繰り返し繰り返し、私の頭の中でこの思考がよみがえってきたのです。
私たちは、仕事でもぎりぎりとねじ巻きされているのかもしれませんし、そればかりか、消費生活も、ぎりぎりとねじ巻きをされているのかもしれません。そして、自分でもそうしているのです。
また、大勢の者が、その片棒を知らず知らずとかついで、人をもわが身をも、ねじ巻きさせて生活しているのです。
無意識の意識化は、常に重要ですぞ!
客も少なく、ざわついてもいなかったせいか、ちょっとしたことに気がついた。
ラーメンをすすりながら、ぼんやりとしていたのだけれど、
いや、いや、ぼんやりとした頭で、ラーメンをすすっていたのだけれど、
ふと気がついたのだ。
店のテレビがついていて、その音が気がつかないうちに、私の頭の中に入ってきている。
それは、店に入って、その席に座ってから、ずっと私の頭の中に入ってきていた。
それで、その音声が私の頭に入ってきているということは、実は当初は気がついていなかったのだ。
しかし、ぼんやりとした頭でラーメンをすすりながら気がついたこと、
それは、
「さっきから、ずっとコマーシャルが続いているなあ」
「次から次と、なにやら、ずっとCMばかりじゃないか、番組はいつ始まるんだ!」
ということだった。
「いつから、こんなにCMの時間が長くなってきたんだろう?」
「いつの間にか、少しずつ長くされてきたのかなあ。」
「アア、こうやって、人は知らず知らずのうちに、購買意欲が掻き立てられていくのだろうなあ。」
「・・・ろくに収入もないのに、金を借りてものを買ったり、次から次へと新しいものを手にしたくなったりするように、されていくのだろうなあ・・・」
(このあたりは、ぼんやりした頭でうっすらと考えていたことを、後からひっぱりだして鮮明にしたものですけどね。)
ということで、再びラーメン屋の場面に戻りますが・・・
・・・おっと、急がなくっちゃ! 時間に遅れてしまう!
私のおぼろげな思考は、そこまでだったのだけれど、
しかし、後から繰り返し繰り返し、私の頭の中でこの思考がよみがえってきたのです。
私たちは、仕事でもぎりぎりとねじ巻きされているのかもしれませんし、そればかりか、消費生活も、ぎりぎりとねじ巻きをされているのかもしれません。そして、自分でもそうしているのです。
また、大勢の者が、その片棒を知らず知らずとかついで、人をもわが身をも、ねじ巻きさせて生活しているのです。
無意識の意識化は、常に重要ですぞ!