本音と建前

人の話には本音と建前がある、というのはよく知られたことです。
本音と建前に近いことは、法制度とその運用にもあります。

先ごろ、高校3年生を対象とした世界史の科目の問題でしたか、必修科目未履修問題が明るみに出ました。
すったもんだありましたが、もう問題は一応解決をしたのでしょうか。

とにかく、こういう解決方法を政治的解決というのですが、高校生はこの機会に政治的解決とはどういうものかを学ぶことができたでしょうか。

つまり、法制度上の規定に従った判断でいくと、現実問題としてあちらこちらにより大きな問題が噴出すので、法制度上の規定には一部反するが、一部大目に見るというやり方です。

法制度とその運用にも本音と建前とよく似たことがあると先に書きました。
この場合、どちらが本音で、どちらが建前かわかりにくいのですが、より理想的な形を目指して法制度が作られている場合、それをそのまま適用して運用したり、そのまま受け入れてしまうと、現実的な新たな問題が生じることがあるので、大目に見てもらって現実を進めるというものです。

行政も実際、暗黙の了承で、わかっていても大身に見ていたりするのです。

普段は、この大まかにやっているところ(大目に見ているところ)を明るみに出してはいけません。

行政も、大目に見ているなどと社会(世間)に知られるわけにはいかないのですから。

ここのところに、制度上の本音と建前のような、あいまいなところがあるのです。

制限速度、時速50キロなどというのも、よく似たものかもしれませんね。