問題は我れにある。
この我れ、この自己がなければすべてが自己である。
それは、自他不二(ふに)の自己である。
本来の我れは、自・他の差別対立でいう我れではない。
天地と一体・万物と同根の我れである。
平等一如・自他不二の我れである。
この我れが
尊いからこそ、
ここに、「
天上天下、唯我独尊」がある。
そして、この我れを究明する道として仏法がある、という。
(cf. 秋月龍眠『一日一禅』)
しかし、この我れの究明ではなく、
この我れをもって如何に生きるかという生き方こそが、
己を活かし、人を活かし、社会を活かす生き方に通じるのである。