人間関係における悪あるいは悪なる人と善良な人

誰しも嫌な人間に出会うことがあります。

人生の過程のなかで、良い人間に出会わないということはありませんが、それ以上に、嫌な人間に出会わない、などということはまずあり得ないことです。

なかには、どうやってこんな人間が生まれてきたのだろうと思ったり、この人は一体どうやってこんな人間に育ったのだろうと思ったりする人にも出会います。

こうした人との人間関係のなかで、善良な人は、なにか自分に不行き届きなところがあったのだろうかと内省したり、自分の改善点を探し出そうと努めたりしますが、しかし、悪なる人というのはこの社会にはいるものですから、そういう人が相手ですと、善良な人はその生命エネルギーを無駄に消耗するばかりとなります。

たいへんな場合には、病に陥り、日常生活に支障をきたすほどに自らを痛めてしまいます。

そうなりますと、善良な人は気の毒というほかありません。

さらに気の毒なことには、今の時代では、この善良なる人が未成熟人間として、あるいは弱い人間として分類され、良い人間ではあるが普通以下のレベルの人間(社会でうまくやっていけない人間)として格下げされてしまいます。

新しいうつ病が増えているといいます。気をつけなければなりません。



悪の人の与える刺激は、善のそれよりもはるかに強い。善は天地・自然の理法として何事によらず絶えず己を看ることを本旨とする。善は反省的で、引っ込み思案に、また傍観的になりがちである。悪は攻撃的で人を責める。相手が手強いほど攻撃力が強くなる。
これらのことをよく知りおくべし。
安岡正篤論語に学ぶ』)