子が親に殺される

子どもが親に殺される。
心が痛む。
その痛む心は我が親の心である。
成人としての、大人であるがゆえの心ではない。
あまねく親の心なのである。
これは子を持つ親と子を知らぬ親とでは異なるかも知れぬ。
あまねく子に対する親の心なのである。
であるが故に痛むのである。

形ばかりの親がこの社会に生まれてきていることをなによりも懼れなければならない。


共存の原理、これは人間の本性に根ざすものである。それを最も自然に自覚するのは親子の間においてである。親から人は生まれる。親は子を慈しみ、子は親を慕う。その間に利益打算の念は一切起こらない。ここに自他共存の原初としての同体一心がある。この一体の関係が他の人々に波及し共存の道は拡充され、深化する。ここに親子の間の共存一体、一心同体の胚胎がある。(岡田武彦『現代の陽明学』)


しかし親子の間にも利害打算の念は起こるのである。人間とは弱いものである。
しかし、それは欲に囚われた人間の上辺の生き方である。
人の上辺の生き方を見て、それが人の本来の生き方だと見誤ってはならない。
しっかりと大地に根をはって生きていない者は、この過ちを犯す。

しかし、今や人々の持つ根は、やせ細ってしまっている。