心と私

心は「主と為りて客と為らざるもの」(朱子)(島田虔次『朱子学陽明学』)というが、

「私」は主と為りて客と為らざるもの、というべきだろう。

区分けしていく分析の視点は、知者の思わぬところに住み着いている。



いのちがいのちであるかぎり、これを科学的に分析して、その実体を見ようとしても、それは、不可能だ。
いのちを分析すれば、いのちが失われるからである。(岡田武彦『簡素の精神』)


私たちは己がいのちを生きるために一体なにを学んできたのか。
あなたたちは、一体なにを教えたのか。