類は友を呼ぶ

人との出会いには、

もちろん「私」以外の力が働いている。

しかし、それでも、私が選んできたのだ。


ある女性が言っていた。

去るものは追わない、と。

それは、ひょっとすると、男と女の関係で言ったのかもしれない。


人との出会いは、偶然的なものだったり、必然的なものだったりするのだが、

ながい付き合いとなると、そこには、やはり関係への自覚というものがあるはずだ。


「運の悪い人は、運の悪い人と出会ってつながり合っていく。やくざのもとにはやくざが集まり、へんくつな人はへんくつな人と親しんでいく。心根の清らかな人は心根の清らかな人と、山師は山師と出会い、そしてつながり合っていく。じつに不思議なことだと思う。“類は友を呼ぶ”ということわざが含んでいるものより、もっと奥深い法則が、人と人との出会いをつくりだしているとしか思えない。」
宮本輝「命の器」)

確かに、そうなのかもしれない。

しかし、ながい付き合いは、双方の、あるいはいずれかの自覚を伴った関係のはずだ。

しかしそれでも、人々を見ていると、引かれるべくして引かれたのだと、そう思いたくなる者もいる。