道徳性と私

人は社会的存在だ。

それが、道徳性が求められる所以である。

しかし、人は個としても在る。

それは、道徳性を破ること、道徳性を超えることにもつながる。


通常、生活のなかで、常に道徳性は拠って立つところのものだ。

しかし、拠って立つ「私」は、その道徳性を常に超えたところにいる。