お笑いと浮ついた社会

軽い社会とは、うわついた社会と言ってもよい。

お笑いものが流行るというのも、現在が軽い社会であることの現れだ。

軽いものは浮遊するほどのものであるから、長くは持たない。

廃(すた)れるのも速いということである。

浮ついたものが一時的に流行って、まもなく消えてゆくのは、いつの時代にもあることで、大した影響力はないのかもしれない。

しかし、近年ではここに大いなる作為が働いて、社会の軽薄化に拍車をかけるようになってきている。

お笑いなどで人気の出た者の「お笑い芸」が貧しくなり、その者の「お笑い」が面白くなくなっても、その者をテレビに出すことで視聴率を上げる、という方法が用いられるからである。

彼らは、各種のCMはもとより、さまざまな番組で使われるようになる。

まさかこのようなところまでは行くまいが(いやいやそうも言えまい)、そうした「お笑い」者が「お笑い」のままにニュースを読み、ニュース解説をし、などというところに出始めると、ますますこっけいな軽薄社会を作り出していくことになるに違いない。

軽薄な社会はバーチャルな世界に似る。

気がつかぬうちに、なんでもありの社会、恐ろしい社会になってゆくのである。


などと言っていると、
「まあ、そう固く考えなくてもよいではないか。楽しいのは良いことなのだから」、と誰かに肩をたたかれてしまった。