女性と社会生活

女性の社会参加という言葉はすでに古くて、当たり前で、消えてしまったような言葉なのかもしれないが、それでも女性はやはり家庭を守る柱であって欲しいと思う。
そして、その役割に誇りを持つ人であって欲しいと思う。

これは、回帰である。

女性の社会参加を推進しようなどと主張する女性は、それなりの所得を持って社会のなかでやっている女性たちだ。

格好のいい響きの「女性の社会参加」の実態は、蓋を開ければ、その多くは家計の足しにするためにパートなどで働いている人たちなのだ。

なかには、慎ましく暮らして、そうしていると言うよりも、金を使い、金がないからローンを使い、そうやって金がないと言うので、パートに出たりしている人たちも多い。

そして、女性の社会参加策には、子育て支援(かつてその中心は社会的保育だった)策が絡む。

女性の社会参加の実態と子育て支援とで、女性が家庭を、特に子育てをないがしろにする状況が生まれる。

女性が働きやすいようにと、つまり社会参加しやすいようにと、学童保育を充実させてきているが、聞くところではわがままし放題の子どもや子育てのなんたるかも忘れ、母親であるその女性自身が自分の生活を楽しんでいるような人もけっこういるようなのだ。
おまけに、そこにも、モンスター化する親がいる。

どうかしているこの社会、どうかしている女性たちの生き方なのである。

こうした風潮は、もっぱら知識と教養のある女性たちが作り出してきたことなのかもしれない。

情けない限りである。知識と教養などというものも、実のところ、たいしたことはないのである。

子どもたちもかわいそうである。男たちも気の毒である。
日本の将来を憂うのである。


ずいぶんと長い独り言になってしまったわい。