言葉の信奉者の哀れ

言葉の信奉者は、

物事を観察し、分析し、評価する者になりえても、

真を知るものにはなりえない。


悲しむべきは、

その信心を深めるほど、

まさにそれを生きている己からも、

離れた者になってしまうということだ。



しかも、信奉者は、信奉者であるがゆえに、

そこから逃れるのが難しい。


また、世間がそれを高く評価するかのごとき錯覚をももつがゆえに、

その世界から抜け出ることが難しいのだ。


そして、
この知識教育の犠牲的病者たちは、自らを自らが治療しなければならないという不幸をもつがゆえに、いっそう哀れだ。