人を大切にする政治(福祉・知的障害者)

人よりも、住民よりも、金を大事にする政治が、相変わらず、当たり前のようになっていはしないだろうか。
ひょっとすると、その傾向は、ますます強くなっているのではないだろうか。

霞のようにぼんやりと、でも厚ぼったく、そして気づきにくく、広がっているのではないだろうか。
時代の傾向を見ると、そうであっても、おかしくないような気がする。

もう十年くらい前だろうか。
知的障害者の人の生活のことをテレビで見て、強く印象に残っているものがある。

その内容は、次のようなものだった。

東京で生まれた知的障害者の男性(仮にSさんとしておこう。当時20歳くらいだろうか。)が、養護学校を卒業してからの行き先として、養護学校の先生の努力で、福祉施設に入る。

その施設は、東北だと思うが、東京からは遠く離れたある県の田舎にある。

その施設には、東京から来た大勢の知的障害者が入っている。

なぜ、そういうことになっているかというと、
東京都は、現在も知的障害者の施設はあるが、それら施設をつくるのは(主には費用の関係で)簡単ではないので、他県に求めているらしい。

請け負った他県の方の理由はというと、過疎が進んでいるので住民の働く場の確保のために施設をつくり、東京都に住む知的障害者を受け入れる、というものだ。

一方、東京都から大勢の知的障害者が入所しているのだが、その一人であるSさんは帰りたいという思いを持っている。

どうも、東京都から大勢の知的障害者が東北地方などの他県の福祉施設へ入所していっているらしい。


長い話になってしまったが、ここでの住民対応の構図は、次のようなものだ。

知的障害者であっても東京都民である。
しかし、その人たちは養護学校を出ると行き場がない。
そこで福祉施設を利用したいのだが、行ける施設が不足していて、近郊にない。
東京都は、その問題を承知しているが、その施設をつくるのには、金がかかる。
そこで、金をあまりかけずに実現する方法を考える。
一方に、過疎化に悩む他県の地域がある。
そこは、住民の就労先を確保し、そのことで少しでも過疎をくい止めたいと考えている。
東京都とその他県との間で、利害が一致する。
そこで、他県は、知的障害者福祉施設を作る。
東京都は、都民である知的障害者をそこへ誘導し、そこで生活をさせる。

今では福祉の法律も変わってきているが、それでも大勢の知的障害者のこうした状況が、にわかに改善されているとは思えない。


この番組を見て、
まるで囚人の収容の場を移すような話ではないか、と私は思ったのだ。

知的な障害をもつ人であろうとなかろうと、犯罪を犯した人ではない人たちに対して、おかしな話である。

住み慣れた土地、環境からの追い出し、身内が近くにいる生活からの追い出し、友人や知人が近くにいる住み慣れた生活からの追い出しではないか。

経済的合理性と彼ら以外の住民の利害を優先する形で、彼らの生活や人生が翻弄されている。

私は、そう思ったのだ。

しかし、その問題の本質は、知的障害者の福祉行政にのみあるのではない。

人間(の生活)を重視しているかのようで、実は違うものが重視されている、という行政の姿だ。

行政をしている者も、住民も、それになかなか気づきにくい。あるいは、気づいていても、目先のものを優先してしまうから、そのような選択をするのだろうか。

いや、おそらく、知ってしている者もいるだろう。