成人式(おめでとう)

調べると、成人の日は戦後まもなく法制化されている。

その目的は、祝日法により「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」とされている。

この法律ができたのは昭和23年だ。

この時期、私たちの国は経済的に疲弊し、価値観も大きな転換を迫られた。
そうした中で経済の復興を目指していくことはなによりも大きな課題だった。
人身の乱れをなくし、わが国の経済を担う若者たちに生きる自覚を促し、これを励ましていくことは、国策としてもたいへん重要なことだったのだ。

若者たちには、たくましいエネルギーがある。しかし、多くの人々と同様に腹をすかせていたのだ。
そして、(半ば強いられたものではあるが)国策の転換によって、にわかに生きる目的を見失い、あるいはあいまいになる状況に置かれたのだ。

こうしたなかで、成人の日の祝日(法制化)は誕生した。

しかし、今や若者たちの置かれている状況は、天と地ほどに変化した。

もう(とっくの昔に)、貴重な税金を使って、行政府が式典を開くなどという形はやめるべきときに来ている。(・・・呉服業界がどうであろうと。)

必要なら、テレビやラジオ、新聞、インターネット等のマスメディアを通じて、総理大臣なり、都道府県知事なり、市町村長なりが、若者たちへのメッセージを伝えるだけでもよいだろう。
(もっとも、耳を傾ける若者は少ないだろうが・・・。)

成人式なんて、知るか!
などという気概のある若者も、減ってきているのかもしれないなあ。

親たちにして、そうなのだからなあ。