女性の社会参加

最近は相変わらず景気がよくないので、それほど言われないのだろうか。

このたびは、女性の社会参加、あるいは女性の社会経済活動への参加の促進という話。
(でも、どう話が展開するかは、独り言ゆえわかりませぬが・・・、)

格好のよい言葉ではある。
そのために保育施設等を整えて、女性の社会参加を促進するなどという言葉も聞かれたりした。

しかし、仕事をしている多くの女性は、家計を助けるためにパート労働をしている人が多いようだ。
自己実現のための社会参加、などというのはかけ離れた話である。

また、パート労働者を増やすことは、正規雇用者を少なくし、経費を抑えるとともに、賃金の上昇をも抑えることに連動する。

一方女性は、育児を他人や社会に任せ、金儲けに心を奪われ、密度の濃い親子の情愛関係を育てる機会を捨てていく。
この親子の情愛関係を育てるというのは、子供に対して育てることばかりを思っているかもしれないが、実は、親も、親子の情愛とはどういうものかを自身のうちに育てることになるということを忘れている。

よだれをたらす年齢の子供を連れるのに、汚れると悲鳴を上げそうな服を着ていたり、目の前に珍しいものがあればすぐ手に取る年齢の子供を抱くこともあろうに、きらきら光るイヤリングをぶら下げていたり、まったくよくわからん若い母親を見ることも多々ある。

いったいどうなっとるんじゃ、これは!

と、一人ぶつぶつほざいとる者が、ここにおります。
(雇用関係の話のはずが、子育て関係に変わってしまいました。まあ、独り言ですから、いいかげんなのです。)