惜別(わかれ)

人生のなかでは、当然、たくさんの人と出会っているのですが、出会いはなぜか未来に似つかわしく、別れのみが思い出に残ります。

好きな歌の一つに「惜別の歌」というのがあります。
その詩は、次のものです。

  遠き別れに 耐えかねて
  この高殿に 登るかな
  悲しむなかれ 我が友よ
  旅の衣を ととのえよ

  別れと言えば 昔より
  この人の世の 常なるを
  流るる水を 眺むれば
  夢はずかしき 涙かな

  君がさやけき 目の色も
  君くれないの くちびるも
  君がみどりの 黒髪も
  またいつか見ん この別れ

  君がやさしき なぐさめも
  君が楽しき 歌声も
  君が心の 琴の音も
  またいつか聞かん この別れ
 (島崎藤村の詩「若菜集」の「高楼」からの一部であり、また部分的書き換えがなされたものと思います。)

 惜別の思いとして特に心に残っているのは、青年期に自殺してしまった友人です。そして、好きであるのに分かれてしまった人も思い出します。そのほかに、もちろん大切な人との別れを思い出します。

 この歌は小林旭さんが歌っています。
 そして、歌として聞くと特にそうなのですが、女性に対する表現の美しさが好きです。
 作曲は、藤江英輔さんです。
 作曲については、学徒出陣で戦地に向かう友人たちとの別れのために作ったということを最近知りました。
 
 自分の人生が時代に翻弄された、いや、社会に翻弄された、いや、政治に翻弄された、いや、政治をなした人たちに翻弄された人たちのことを思うと悲しくなります。

 今、多くの「私」たちは、自分の人生を自分で決めることができるということを、当たり前のように思っていますが、そして、それゆえにか、ともすると生きることにぞんざいになるむきもありますが、生きたくても生きられなかった人たちが大勢いたことを思うと、やはり人生というものを大事に生きねばならないと思います。

 人生に別れはつきものです。

 そして、人生の最後には、どなたとも、また、愛する人とも別れねばなりません。

 人生を自分で決めると言いましたが、人生の始まりと終わりは私のものであって私のものでありません。
 しかしその間は、できる限り私のものとして生きたいものです。大切に生きたいものです。