良心は何処より来るか

昔、一人の女が子供をつれて夜道を歩いていた。

やがて、しきりに喉の渇きを覚えてきた。

ふと見ると道端にブドウ畑がある。

別に見張りの者のいる様子もない。

悪いこととは知りつつもちょっと失敬しようとして、子供を見張りに立てて、自分ひとり畑の中に入った。

他人の土地にあるものは、たとえ草木1本採ることも、盗みは盗みである。

人が来るのではないかと、女はなんとなく心が落ち着かない。

そこで、子供に向かって「誰も見てやしないだろうね」と問うた。

ところが、子供の返事が無邪気で面白い。

「おかあちゃん、誰もいないよ。見ているのはお月様だけだよ」

子供には、そのままがそこにある。

女は、手を延ばしてブドウの一房(ひとふさ)をもぎ取ろうとした刹那に、この返事を聞いた。

女は、ハッとした。

「なるほど、そうだ。誰も見ていないと思ったのは自分の不覚だった。お月様が見ているのだ。お天道様が見ているのだ。悪かった。悪かった。なんと自分は恥ずかしい。たとえブドウ一房(ひとふさ)でも、なぜ自分はこんなさもしい了見を起こしたのだろう」と延ばした手を引っ込めると、そのままやにわにかけ戻って、わが子を抱き上げて頬ずりをして、自分の罪を侘びる言葉を出したのだった。
(参:道歌集)